※本作には、衝撃的な展開や一部読者にとって不快に感じる可能性のある表現が含まれています。
※ 「yotta」、 「残像上」、「残像下」のネタバレが含まれています。未読の方は、ぜひ前作をお楽しみいただいてから本編をお読みいただくことをお勧めします!ネタバレを気にしない方は、ぜひそのままお読みください!
前の章はこちら:アンヤ・角
「疲れた…」
こういいながら、ニコラはホテルの部屋で夜の宴会の支度にいそしんでいた。
なんだか、自己ベストのあくび記録を更新した気がした。
到着当日にパーティーに参加するなんて、まさにギリギリのスケジュールだった。ウクライナで過ごせる時間が限られていることは分かっていたが、せめて一晩の余裕は欲しかった。
メラニーは看護師として夜勤にも慣れており、彼も車内で十分に休息を取っていたため、体調には問題がなかった。しかし、親父のことが常に気にかかっていた。車でニコラが目を覚ましている限り、昼も夜も関係なく親父はひたすらメラニーに話し続けていた。
「ふぁー!シャワー気持ちよかったぁ!」
そう言いながら、親父は下着姿で堂々と洗面所から現れた。
むしろ、彼の方が元気いっぱいで、ニコラの疲れを吹き飛ばすようなエネルギーを放っていた。
「これを着ていくかい?」
と、ニコラに問いかけた。
数時間前までウクライナ国立美術館のパーティーに行くつもりだったニコラは、堅苦しいスーツと同じくらい堅苦しいネクタイを身に着けていた。これからウクライナ大統領にでも会うかのような雰囲気で、自分が似合わないことは十分に自覚していた。
「これでダメかな?」
「ダメではないけど…なんというか…もっとアーティスティックな服装でもいいんじゃない?」
親父の服がアーティスティックにベッドに散らばっていた。明らかにいつもの服装そのものだった。
「自分らしさも大事だぞ!」と語る父に対し、ニコラは小さくため息をつきながら、「…着替えようか」とつぶやき、スーツケースの中からより適した服を探し始めた。
数年前だったら、こんな会話が父と交わされるなんて、想像もできなかった。
彼と父の関係は常に山あり谷ありで、ウクライナから帰国後はさらに悪化し、母が亡くなったときにはほぼ絶交の状態にまで至った。もしかすると、父も自分も、互いの立場や気持ちを理解しようとする努力が足りなかったのかもしれない。二人とも頑固で、外的な要因がなければ何も変わらなかっただろう。スーツケースからお馴染みの白い襟付きシャツを取り出しながら、ニコラはそう心の中で思った。
シャツを見て、親父が満足そうに頷き、
「これでいいんじゃない?」と言った後、意味深な笑顔を浮かべながら続けた。
「今日、彼女も来ているしね。」
ニコラの動きがピタリと止まった。
彼女のことを考えないようにしていたが、その言葉で心が乱れるのを感じた。
考えれば考えるほど、この部屋から一歩も出られなくなるだろう。
話題を逸らすように、「そうだね」とだけ返答し、スーツのジャケットを脱ぎ捨て、掘り出したいつものベストを着た。その瞬間、ドアがノックされた。
返事も待たずに妹が部屋に入ってきた。
下着姿の父に一目もくれず、ニコラを一目見て溜息をついた。
「またいつもの服じゃない…」
「パパが…」
とニコラが弱々しく返した。
メラニーはいつもとは違い、少し整った格好をしていた。シンプルながらエレガントなドレスを身に纏い、メイクまで施していた。その姿は、まるで特別な夜のために準備されたかのようだった。
「メラニーこそ、そんなに頑張る必要ないんじゃない…」
とニコラが言うと、メラニーは首を振りながら答えた。
「何言ってるの?私のつまらない人生に頑張る機会がなかなかないからこそ、今日頑張っているのよ。」
ズボンを履いている途中の親父にメラニーが声をかけた。
「それで、ニコにそのおじいちゃんの服を着させる意図は?」
「どうせこういうパーティーになったら、男は皆同じような服装をするだろう?肝心なのは着ている人の自信なんだ。だからあえていつもの服でいいよ、って。それにちょっとしたアクセサリーを添えたらばっちりだぞ。」
「いつからファッションアドバイザーになったの?」と彼女が尋ねると、父は誇らしげに「言うなれば、俺は結構な人気者さ」と答えた。メラニーは笑いながら、「老人ホームででしょ」と返した。
再びニコラに目を向けたメラニーは、「ではパパが服装担当なら、私は顔を担当しよう。こっちに座って」と言い、ニコラをドレッサーの前に座らせ、彼の長い髪を櫛で丁寧に梳かし始めた。
「その髪、いつからのばしてる?」
と彼女が尋ねた。
「さぁな…」
「何でそこまでのばしてるの?」
「なんとなく?」
長い髪には、なぜか安心感があった。外に出ているときは大体ポニーテールにしていたが、寝ているときや、一人で悩んでいるときには、一時的でも自分を守ってくれるカーテンのように感じていた。もちろん、メラニーにそれを言ったら笑われるだけだろうから、伝える必要はなかった。
幸いにも彼女はすでに髪型のアレンジに頭を悩ませていた。
「どんな髪型にしようかな…」
「好きにしていいよ。」
「じゃーリーゼントでどう?」
「本当に作れるのか?」
「冗談だよ…彼女も来ているから、かっこよくしなくちゃ。」
と微笑んだ。
ニコラが視線を逸らした。
逃げ場がないように感じた。
今夜のパーティーにはアンヤも来るという事実が、ロシノワ先生からにこやかに伝えられた。
ロシノワ先生も、メラニーも、父も、皆、彼がアンヤとの再開を心待ちにしていると勝手に想像しているようだった。確かに、アンヤの巨大な絵を描いたのだから、それが自然な流れに見えたのかもしれない。
しかし、アンヤとの再会は彼にとって恐怖そのものであった。数時間前に偶然に会ったばかりなのに、再び対面することの恐怖が心を圧迫していた。
アンヤ…
絵に描いたアンヤと、今日会った彼女はあまりにも異なっていた。そのギャップにニコラは恥ずかしさと深い戸惑いを感じていた。外見上の変化はほとんどなかった。髪型も同じで、体形も少し痩せているだけで、特に変わっていないように見えた。しかし、彼女のまなざしはまったく異なっていた。
以前のアンヤは、死に向かうことで必死だった。仮面の下に隠れたその目に自滅の欲望が強く燃えていた。
だが6年後のアンヤの目にはそのような緊迫感が消え、不思議なほど静かだった。
彼女は何を諦めていたのか?死を、それとも生を?
メラニーは黙々と髪をアレンジし、考え事にふけるニコラに気づかず、ふと完成したヘアスタイルを鏡に映して見せる。
「うん、これでどうでしょう。」
ニコラが鏡の中の自分を見つめた。
「ハーフアップか…悪くないね。」
実はかなり気に入っていたが、あえて控え目な言葉を選んだ。
褒め言葉を口にすると、メラニーは逆に自分を小馬鹿にされていると感じてしまう癖があったから。
その時、着替えを終えた父が彼の背後から近づいた。やっぱり彼もいつもの服装で、さっき車で着ていたものの色違いバージョンにしか見えなかった。
「はは、いいじゃないか、ニコラ。」
父がニコラの前に立ち、小さな何かを見せた。
「最後の仕上げにこれでどうだ。」
手には小さなスズランのブローチがあった。
ニコラの目が見開かれた。
「!!これは…お母さんの…」
「そうだ。」
「だめ…そんな…」
ニコラの声は震えていた。彼はその小さな花のブローチを見つめ、過去の思い出に飲み込まれそうになった。
「彼女も今日一緒にいたかったんじゃないか。」
父の言葉に耳を塞ぎたかった。母のことまで考えてしまうと、本当にベッドの中に引きこもり、身体の水分の全てを涙として流したあとにしか出られない気がしていた。
このブローチはニコラとメラニーが母の誕生日にあげたものだった。決して高価ではない、子供の二人が当時全財産を使って近所の雑貨屋さんで買ったものだったけれど、母はそれを大事にし、服装に付けることが多かった。とっくに無くしたと思っていたが、親父が持っていたのか。
優しくブローチを触って、思わず囁いた。
「ママ…」
溢れた言葉は小さく、遠く感じた。
三人はしばらくの間、言葉を交わさず、ただ下を向いた。
母がなくなってから3年半。
時が経つのは早いが、彼女が家族の心に残した空洞は依然として大きく、どこか寒々としていた。
「ふー…」
ニコラは会場の隅でひと息つきながら、深く溜息をついた。今回のパーティーの規模と出席者の数には少し圧倒されていた。見たところ、100人もいなかったが、美術館の小さな部屋にははるかに多すぎた。運よく、ほとんどの人々が父を目当てにしており、彼は慣れた様子で多くのゲストと会話していた。
パーティー開始直後、父が完璧なウクライナ語でスピーチをした後、ニコラに自身の作品について話す番が来た。作品の背後にある深い物語を語ることが恥ずかしく感じられたため、彼は使ったテクニックや色見を中心に、話を表面的なものにとどめた。
話しながら、会場を見渡しアンヤを探したが、彼女の姿はどこにも見えなかった。
自分の中で彼女に来てほしいかどうかが分からないまま、メラニーがいろんな料理でパンパンの皿を持って彼に話しかけた。
「お疲れ様!」
串に刺さった肉を彼の方に振り、「いる?」と聞いた妹に、ニコラは「ありがとう」と囁きながら、口で直接取った。
「ニコってやっぱり大人になっても子供のままだね…」
メラニーはにやにやしながら、向こうのテーブルを指さした。
「ほらみて、あそこに「インスピレーション」がいっぱいあるぞ…」
いくつかの酒の瓶が輝いていた。
「あ、ほんとだ。」
「飲みすぎないように注意…ははは」
こういいながら、メラニーがビュッフェの方に戻った。
そうだ、まだ親父とメラニーに言ってなかった。酒が飲めなくなったことについて。
本当は例の事件から3ヶ月がたった今、流石に味覚は普通に戻っていると思った。だが、現実はそう甘くなかった。。さっきの乾杯で飲んだシャンパンはまるで炭酸水のようだった。
彼の心の中には疑問が渦巻いていた。結局あの夢に現れた神は何だったのか。アンヤに見えても、それは本当にアンヤだったのか…
会場を見渡し、再び彼女を探した。
「…いた。」
彼女の髪はみつあみで結ばれ、青いカチューシャがきらりと光っていた。彼女が着ていたパーティードレスは、周囲の派手な人とは対照的にシンプルだったが、意外にもタイトでスタイリッシュなもので、アンヤが自分で選びそうには思えなかった。誰かに選んでもらったのだろうか?ロイヤルブルーのふわふわとした袖とストレートな白いスカートのコントラスト、白いブーツの組み合わせがまるで北欧の令嬢のようで、ニコラは思わず見とれてしまった。
それなのに、どうして?
誰も彼女に気づかなかったのか?
彼女の存在感は圧倒的なのに、まるで透明人間のように誰とも会話せず、会場を彷徨い、置き忘れられた荷物のようにぽつんと孤立していた。
*もう、くよくよしている場合じゃない。男として勇気を出さなければ。*
近くを通りかかったウェイターのお盆からシャンパンのフルートを一つ手に取り、ニコラは緊張を抑えつつアンヤに近づいた。彼女が床を見つめている間に、彼はそっと視界にグラスを差し入れた。
「飲む?」
宝石のような青い右目。
無表情な漆黒の左目。
月のような彼女の二面性。
どこか神秘的だった。
アンヤの視線はニコラの顔とシャンパングラスを何度も往復し、しばらくの沈黙の後、彼女はゆっくりとグラスを受け取った。
「…あり…がとう…」
その言葉はほとんど囁きだった。
そして、しばらくグラスを見つめた末、その中身を水のごとく秒速で飲み干した。
「…」
沈黙が再び二人を包み込んだ。
彼は何か言葉をかけようとしたが、何を話せばいいのか、どう話せばいいのか、全く思い浮かべなかった。
「あの…」
「ニコラ!」
最悪のタイミングで親父がロシノワ先生と共に現れた。二人は楽しげに会話していたが、ニコラは今アンヤとだけにいたかったため、親父の存在が煩わしかった。
サインを無視した親父が相変わらずペラペラなウクライナ語でアンヤに声をかけた。
「あなたはアンヤ…ですね?」
アンヤが顔を見上げた。この距離でも唇が震えているのがよく分かっていた。
助けを求めるように、ニコラとロシノワ先生を何度も見た。
ニコラは何をすればいいのか分からなくて、ロシノワ先生はただにっこりしていた。
そしてまた何も気づかない親父。
アンヤが静かに頷いた。
「マルツァからあなたについてたくさん聞きましたよ。」
「…」
それは果たしてアンヤが喜ぶものだったのか。
親父がアンヤの自殺未遂について知っていたんじゃないか、とニコラは薄々と思い始めていた。
不安に反して、親父は楽しげに続けた。
「俺の絵が気に入っているらしい!」
アンヤが小さく笑顔を見せながらも、不安げに目を逸らした。
「は、はい…」
彼女の声は震えながらも、言葉は慎重に紡がれていく。
「ボヌーユ先生の色使いと筆の扱い方が、とても…とても繊細でありながら大胆で、どこか、生命力が漲るような絵画です…」
彼女の言葉に反応した親父は、まるで満開の花のような笑顔を浮かべた。彼の表情が輝く中、アンヤは一瞬、少し自信を取り戻したように見えた。彼女はさらに言葉を重ねた。
「ここに展示されている『邂逅』ももちろん素晴らしい作品ですが、ニューヨークのフィッシャーズ・ギャラリーに展示されている『青い花』、マルセイユのガレリー・モンターニュの『君に遇えば』も、いつか自分の目で見てみたいです。」
その瞬間、親父は突然笑い声を上げた。
アンヤの目は驚きと恐怖に満ち、その体がわずかに震えた。
彼女は言葉を続けようとしたが、喉から声が出ることはなかった。
「いやいやいや、嬉しいぞ!」
親父の声は温かかった。
「俺の絵がそんなに気に入って、本当に画家としてこれ以上の幸せはないよ!」
その後、親父は「他の誰かさんも見習えたらね…」とニコラの方に視線を投げかけた。ニコラはその言葉に反応し、心の中で「もう邪魔だからどこか行け」と強く願った。
その願いに応えるように、親父はやがて、外の空気が涼しいから後で外に出たいと語りながら、他のゲストから話しかけられると、その場を去ることになった。
親父はニコラに向かってウィンクをしたようにも見えたが、それが本当に彼の意図を示すものであったかどうかは分からなかった。
アンヤと二人きりになるのがやっぱり怖かったけどそのきっかけを台無しにするわけにも行かなかったように見えた。
彼女の小さな手を優しく取って、外に連れ出した。
————–
親父の言葉通り、外の空気はひんやりと肌に感じられた。美術館の裏にある階段のステップに、アンヤは静かに腰を下ろしていた。彼女は特に寒そうでもなく、ただ静かに佇んでいる。ニコラはどう接すればいいのか分からず、一つの腕の長さだけの中途半端な距離で隣に座った。
「…」
「…」
沈黙が流れる中、アンヤがついにその静寂を破った。
「どうして…ここに戻ってきたの?」
と、小さな声で聞いた。
ニコラが静かに微笑みながら答えた。
「実はここに来ることは知らなかったんだ、今日まで。」
「え?ど、どういうこと?」
ニコラは父のサプライズ企画について説明し、それを聞いたアンヤがほのかに笑顔を見せた。
「そうだったのか…ボヌーユ先生はニコラのために努力をしたね。」
「うーん、まぁね…」
ニコラは少し照れくさそうに続けた。
「そう言えば、『残像』も美術館に展示されていたね。ロシノワ先生はゴミ箱から救ったって言っ…」
その言葉が引き金となったのか、アンヤの顔に見たこともない怒りの色が浮かんだ。
「救ったって言ったのか、あいつ…善人のふりをして、私の努力を台無しにしているだけなのよ…」
ニコラはその怒りに驚いた。ロシノワ先生とアンヤの間に何があったのか分からなかったが、いいことだけではなかったのが確かだった。
「ごめん…『残像』は…アンヤの一部かと思っていた…」
「忘れようとしていた一部なんだ。」
アンヤは下を向き、歯を食いしばった。
「マルツァは何が正しいか、何をすべきかを自分より分かっていると思って勝手に行動するからこうなってるのよ。この美術館に行く度に毎回それを思い知らされる。」
ニコラはその怒りの背景に何があったのか、理解しきれなかった。
彼がいない間に一体何が起きたのか、彼女の人生に何が影響を与えたのか、彼女が絵を描き続けていたのか、彼の作品をどう思っていたのか、数え切れないほどの問いが頭をよぎった。
しかしそれは彼には許されない領域だった。
アンヤが一番辛かった時にそっと消えた彼に彼女の生活に割り込む権利がなかった。
彼女の絵を一枚描いたってその事実は変わることがなかった。
大人になった彼がようやく受け入れた事実でもあった。
だからこそ、あえて彼女に必要以上のことを尋ねることはしなかった。
好奇心は心の奥深くにしまい込み…
それが、彼が彼女に対して示すべき思いやりだと思った。
雨が静かに降り始め、地面を濡らし始めた。
小雨だったがそのまま傘なしに外にいれば風邪を引くことになるだろう。
ニコラは立ち上がり、アンヤに手を差し伸べた。
「中に戻ろうか?そろそろ終わるころなんじゃない…」
と声をかけたが、アンヤは地面から視線を逸らさなかった。
「アンヤ?大丈夫?」
「…」
中に戻ろうとした彼の腕をアンヤが急に掴んだ。
「…アンヤ?」
ニコラが問いかける。
彼女の返答は、ほとんど囁きに近い。
「私と…」
「ん?」
彼は言葉を聞き取れなかった。
「私と…」
アンヤが再度口を開いたが、ニコラはまだ聞き取れなかった。
アンヤの前に立ち、笑顔で
「どうした?」
と尋ねた。
すると、アンヤが顔を上げた瞬間、彼女の目には何か決意が見えた。
しかし、すぐに彼女はまた下を向きながら、
「私…私と一緒に…私の部屋に行かない…?」
と呟いた。
ニコラはその言葉に驚き、顔が真っ赤になった。
そ、想像しているようなことなのだろうか?!
まさか、彼女がそんなことを提案してくるとは。
誘いを受けるわけにはいかない、彼女を再び傷つけるわけにはいかない。
だって、たとえまた親しくなったとしても、2日後にはフランスに帰ってしまうのだから。
「…」
彼は自分の沈黙をどう説明すればいいのか分からなかった。
頭の中では「断ろう」「中に戻ろう」と繰り返し考えているのに、足は一歩も動かなかった。
「ただ…話がしたくて…」
と、彼女が小さな声で言い足した。
アンヤが一体何を求めているのか。それが本当に「話」にすぎないのか?
彼には危険な状況にしか見えなかった。
アンヤが彼の想像していることを分かっていたのだろう。
しかし声が曖昧だった。
「アンヤ…」
今度は彼が視線を逸らした。
「俺は…その…」
「ごめんなさい…嫌…だよね…」
「ち、違うよ!全然…全然いやじゃないけど…」
彼は急いで誤解を解こうとした。
「二人きりでいたい。ニコラと。」
ニコラは心の中で葛藤したが、そう言われたら断るわけにはいかなかった。
「…分かった。」
と静かに答えた。
彼女が求める「話」が、果たしてどんな内容になるのか、想像もつかなかった。
つづく